一切の内臓なき卵子も、
沒有一切內臟的卵子,
その中に生命が宿るとき、
也在生命宿於其中的時候,
生命は、肺臓も、心臓も、胃袋も、
由生命用自己的力量,
みずからの力にて「無」よりして創造するなり。
從「無」創造出肺臟與心臟與胃。
病気は近づき来る猛獣にはあらず、
疾病並不是逼近的猛獸,
「生命」と存在の王座を争い
也不是與「生命」爭奪存在之王位
「生命」をおびやかすごとき積極的存在にはあらざるなり。
而威脅「生命」那樣積極性的存在。
病気よ、何者ぞ。
疾病啊!你是什麼東西?
汝は「無」の別名に過ぎざるなり。
你只是「無」的別名。
汝は「生命」がそれ自身の力を自覚せず、
你只是在「生命」沒有自覺自己的力量,
生命の力を殊更に主張せざるとき
沒有故意主張生命的力量時,
顕れる消極的存在に過ぎざるなり。
所顯現出的消極存在罷了。
光がみずからを顕さず、
當光不顯現自己時,
光がそれみずからを主張せざるとき、
當光不主張自己時,
そこにやみと云うものあるかの如く顕れて見ゆ。
在那裡,就會看起來好像有黑暗出現。
その如く、
就像這樣,
「やまい」は「生命」がそれみずからを顕さず、
「疾病」只是「生命」不顯現自己,
それみずからを主張せざるとき、
不主張自己的時候,
朦朧として顕れる「やみ」に過ぎず、
朦朧中顯現的「黑暗」罷了。
「病み」と「やみ」とは即ち語源を同じゅうす。
亦即「疾病」與「黑暗」的語源是相同的。
死刑囚に目かくしして
請看看,若將死刑犯的眼睛遮蔽,
「汝を頸動脈切断の刑に処すべし」と宣告し、
而宣告說:「要把你處決切斷頸動脈之刑」,
微温湯の滴々をその頸筋の皮膚に滴らしたる時、
然後把溫水,一滴一滴的滴到他脖子的皮膚時,
恐怖心により遂にその死刑囚が気死したる記録を見よ。
那死刑犯由於恐怖心而終於死去的記錄。
如何に多くの病患者が、唯恐怖心にて気死したるか。
有多少病患,只是因為恐怖心而死亡呢?
喀血や、吐血や、子宮癌の出血にて、
由於咳血或吐血或子宮癌出血,
ただ恐怖の為に死に導かれたる数は、
只因為恐怖而導致死亡的人數,
戦争が人類を殺戮したる数よりも多きなり。
比戰爭殺戮人類的數目還更多。
汝ら決して出血を恐怖すること勿れ。
你們絕對不要害怕出血。
生命は血液よりも偉大なるものなり。
生命是比血液更偉大的。
出血の次の瞬間よりして、
從出血的那一瞬間開始,
生命はその出血部の血管を
生命就以自然療能的力量
自然療能力にて結索し、
來結紮出血部份的血管,
新たなる血液を造り始め、
並開始製造新的血液,
日ならずして汝の身体はそのきよらかな血液を倍加せん。
不久,你身體中乾淨的血液就會變成加倍。
恐怖せざれば人間は出血にて死せざるなり。
如果不害怕,人就不會因出血而死亡。
汝ら、発熱をおそるるなかれ。
你們,不要害怕發燒。
そは汝の憤激か、恐怖か、いらだちの心の反影に過ぎざるなり。
那只是你憤怒或害怕或焦躁之心的反影。