『人』の実相は神の子にして、

『人』的實相是神子,

生きとおしの生命なれば

是永恆的生命,

消滅つねなき肉体を以て代表せしめ得るものには非ず。

故不能以生滅無常的肉體來作為代表。

すべて生滅常なきものは

所有生滅無常的東西,

実体に非ずして

都不是實體,

ただ信念のかげに過ぎず。

而是信念的反映而已。

信念をかうればまたそのすがたも変化せん。

若能改變信念,則其形相也會隨著改變。

物質は事物の実相に非ず、

物質不是事的實相,

ただこころに従って生滅す。

只會隨著心念而生滅。

物質はこころの影なるが故に、

因為物質是心念的影子,

それ自身意識を有せず、

所以其本身沒有意識,

感覚を有せず、

沒有感覺,

痛みを感ぜず、

不會感覺痛,

病を感ぜざるを本性とす。

不會感覺生病,這就是其本性。

然るに物質にあり得べからざるいたみを

然而,物質的肉體感覺到

物質なる肉体が感ずるは、

物質所不可能有的痛苦,

唯『感ずる』と云う念あるが故なり。

那只是因為有『感覺』的念之故。

肉体に若し催眠術を施して

如果對肉體施行催眠術,

彼の念を一時的に奪い去れば、

把他的念暫時奪去,

針にて刺すとも痛みを感ぜず、

則用針來刺,他也不會感覺痛,

メスにて切るとも痛みを感ぜず、

用手術刀來割,他也不會感覺痛,

無痛刺針、無痛施術等自由自在におこなわるるに非ずや。

如此不就是自由自在的做無痛刺針、無痛施術嗎?

『念』全く去りたるものを死体と云う。

『念』完全離去,則稱為屍體。

汝ら死体が痛みを感じたるを見しことありや。

你們看過屍體感覺疼痛的事嗎?

死体は『念』去れるが故に痛みなきなり。

因屍體的『念』已經離去,故不會疼痛。

『念』に従って一つの組織を現ぜるもの

隨著『念』而顯現的一種組織,

この『生ける肉体』なり。

就是這個『活的肉體』。

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