かの楽聖ベートーベンの
那樂聖貝多芬
有名なる諸作品は
有名的各曲作品,
彼の肉体の耳しいて
不是在他肉體耳聾,
物体の音響を殆ど弁別し難き晩年に到りて作
幾乎很難辨別物體的音響之晚年時
曲せられしに非ずや。
所作的曲子嗎?
彼の肉体の耳はしいたれども
他肉體的耳朵雖聾,
心の耳ひらけたれば、
然而,他心的耳朵仍然開著,
こころの耳はピアノの鍵盤にふるるに従いて
所以隨著心的耳朵接觸到鋼琴鍵盤,
そのたえなる奏曲を分別し得たるなり。
就能夠分辨所演奏的微妙曲子。
かくの如く人は
像這樣的人,
心だに肉体に捉われざれば
只要心沒有被肉體束縛,
眼なくして物を見、
則沒有眼睛也能看東西,
耳なくして物を聞き、
沒有耳朵也能聽聲音,
体なくして物にふるることを得るは事実にして
沒有身體也能接觸東西,
理論にあらず。
這些都是事實而不是理論。
この時、天の童子反問す――
這時候,天之童子反問說──
『主よ、眼なく耳なくして、物を見、物を聞くを
『主啊,雖然我聽說過不用眼睛
得るは聞きしことあれども、
不用耳朵,卻能看東西,能聽聲音,
体なくして物にふるることは不可能にあらずや』と。
但是,不用身體卻能接觸東西,豈不是不可能嗎?』
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